松倉絵馬とは・・・ 飛騨高山では、松倉観音の縁日などで、古くから「絵馬市」が開かれています。 もともと、厩(うまや)などに貼って、牛馬の安全や稼ぎを祈願したものでした。牛馬は外で働くものなので、農家では外に向けて貼っていたといわれています。 一方、商家などでは、家の内側に向かって馬が駆け込むように紙絵馬を貼って、家内安全や商売繁盛などを祈願する縁起物としており、現在では、この貼り方が一般的になっています。 観音堂の本尊「馬頭観音」は、普段、高山市内の東山寺院群の中にある「素玄(そげん)寺」【写真@】にありますが、8月9・10日は、松倉観音に安置されて、夜を徹して法要が営まれ、絵馬市が開かれます。【写真A,B,C】 また、10日の夕方には本尊を素玄寺に戻し、夜まで法要と絵馬市が行われます。【写真D】 松倉観音の絵馬は木版刷りで、比較的落ち着いた色使いが特徴です。描かれている馬が首を垂れているのは、観音さまにお参りしている姿を表しています。【写真E】 絵馬を和紙に描くようになったのは、今から160年ほど前からと考えられています。大正時代までは、牛馬を連れて松倉観音に参拝することが多かったようです。その後、絵馬で代参するようになったといわれています。 市内はもとより、全国各地から絵馬を買い求めて、多くの方が松倉観音へお参りされる姿は、夏の飛騨高山を代表する風物詩のひとつであり、民間信仰にかかわる習俗として貴重なものといえます。 松倉観音とは・・・ 「松倉絵馬市」が開かれる松倉観音堂の本尊は、「馬頭観世音菩薩」といい、古くから「松倉観音」と呼ばれ親しまれています。馬頭観音のお姿は、三面八臂の木造で、頭上に馬の頭をいただき、怒りの表情をしています。これは、諸々の悪を挫き伏せる威力を表し、人間の憎悪の心や汚濁を退治する表れとされています。 江戸時代中期より素玄寺に伝わる「縁起」によると、本尊の起源が次のように記されています。 「慈覚大師が唐(中国)に渡り、船での帰国途中に嵐に遭った。その際、一心に観世音菩薩に祈られると、馬のいななきとともに風雨が静まり無事に帰国できたことから、感謝の印に二寸八分の馬頭観音を刻まれ、比叡山に安置された。その後、宇治川の先陣争いで有名な佐々木四郎高綱が比叡山に赴き、この本尊をいただいてきた。高綱の子孫で、松倉城主の三木久安自綱は馬頭観音を松倉山の岩屋に安置し供養した。後の高山城主金森候も松倉観音を深く信仰、保護された。云々と」 以来、里人の信仰厚く、牛馬の守護神として、また家内安全生業繁栄の功徳有りとされています。古くは飛騨七観音第1番の霊場として、また近年は飛騨三十三観音霊場第4番札所の奥の院として参詣され、今日に至っています。 毎年8月9・10日の縁日法要や、7年に一度行われる本尊の御開帳法要には、飛騨各地や遠方よりたくさんの方が参詣され、たいへんな賑わいを見せています。
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